
本には多くのデッサン画があり、画家としての魅力も十分楽しめます。特に、60歳の自画像は凛とした気概を感じる作品で私は好きになりました。
この本で特に面白く感じたところは、インタビュー中に、佐藤のモデルであり、彫刻家の笹戸千津子の「つっこみ」があった部分です。気軽に読める本です。今週の山さんのお勧めの本です。
この本には、佐藤のアートに関する考え方が随所にあり、今回はこの言葉を紹介します。
・本物に出会う
「まだなんにもわからない、若い私たちのような人間にも、ああいうホンモノの絵(安井曾太郎のばら)のよさは、やはりわかるものなんですね。だから、美術に関しても、音楽にしても、まだよくわからなくていい。若いうちからホンモノの芸術作品に触れさせる機会をもっとふやして、よいものを見分ける感覚を養うような教育が必要だと思いますね。
~省略~ 小さいころからホンモノの芸術に接して、誰かの価値感や見方を押し付けられるのではなく、強制的に感想や批評を言わされたりするのでもなく、自分なりに率直に感じることが、その人の感覚を養うのにとても大切なんですね。」
・部隊長の命令に「待った」をかけて逃避行
「今思うと、あのとき、一言「待ってください!」と叫ばなかったら、私の戦後はなかったかもしれないし、彫刻をつづけたい、はるかに遠いけれど歩いてでもパリに行きたい・・・という執着心がなかったら、抑留中(シベリヤ抑留)もずっと頑張れたかどうか疑問ですね。」
・手で苦心する話
作品は作者が仕上げた時点で一応完成するように見えますが、本当は”見てくださる人”や鑑賞する人がいて、その相互関係のなかで、いろんな感想や評価をもらったときに、表現というもにが成り立つのだということを、このときの例(母の顔-1943年製作 という作品が想定もしなかった外国人に改めて評価された)で実感させられましたね。
自分の作品で褒められたものや、人のものでもいいなと思った作品には”真実性”とか”純粋性”が感じられるのは確かです。それじゃ、次にもそういうものが、作れるかというと、要領のコツを覚えたというか、一度身についた一種のいやしさは、なかなかもとに戻らないものですよ。若いころの作品の中には未熟な部分があっても、素朴さのなかに、訴えるもの、訴えようとするものが自然に出てくることが多いですね。
「手というのはこわいものです。作品を創るときでも、手や指を表現するのがとても難しい。彫刻の手が普通以上に目立つと、手がおしゃべりをしたり踊ったりするなどと言いますが、ちょっとしたことでもどこかに作者の野心があると、とたんに像の手がおしゃべりを始めるし、甚だしい場合には踊りだすということが起こります。手や指を自然に表現することは、なんでもないようでいて、それくらい難しいですね。」
「朝倉文夫先生がよく、仕事をする者の技術について「1日休めば、1日の退歩」とおっしゃっていたけれど、私は退歩が1日分とまればいいほうで、「3日とかそれ以上の退歩になるかもしれない」といっも言っているんです。江戸時代の寺子屋にこんな教えがあったそうです。「手習いは坂に車を押すがごとく、油断をすれば後に戻るぞ」-うまいことを言ったものです。だから、とにかく休まずに、毎日工夫をしながら仕事を続けることが職人の第一歩なんですね。 あるとき若い人から「彫刻が上手になるコツはないでしょうか」と聞かれたことがあったので、私は「毎日コツコツとつづけることが最良のコツですよ」ち答えました。」
・いい形には”作用と反作用”が効いている
私の考える「作用と反作用」はもう少し広い概念です。作品が表す基本的な力の軸や方向に対して、どこかにそれに反したり違ったりする軸や方向が見られると、その作品は微妙な均衡を保って美しく感じられる-というような考えですね。
合掌 山さん
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