2007年9月1日土曜日

1冊の本 森村泰昌著 「美しい」ってなんだろう?

今回は美術家の森村泰昌の『美しい」ってなんだろう? 美術のすすめ』という本を散歩したいと思います。

この本を書かれた目的は、できるだけたくさんの人が「美術っておもしろいなあ」と思い、「美術館にいっぺん行ってみようと強く感じてほしい」という著者の思いから書かれています。

本の構成は、学校の授業のように1時間目~10時間目の10章に構成されています。まるで、森村美術教室で美術の講義を受けている感じです。
内容は、本当にわかりやすし、美を冒険していく上での必読書です。
さらに、所々に若い学生からの質問に真摯に回答されているQ&Aもあり、そこには人生の至玉の言霊がちりばめてあります。


1時間目の授業は、「私は美術家です」というテーマで、「カワイイやカッコイイ」をはじめとして、途方もない大きさをもっている美しさを探しに行くための冒険の場所、それが美術館ということがかかれています。

2時間目は「モリムラ美術館」への招待です。上図にある「肖像・ゴッホ 1985年 カラー写真」を作る中で自分の道=第4の道(見る・作る・知る→なる)を見つけられたことが書いてあります。

3時間目は「ふしぎ美術館」です。美術鑑賞では、マニュアルに惑わされることなく、「自分の頭の中をまっしろ」にしてから美術作品と出会い、その不思議を味わうことを勧められています。
具体的には、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」を例に出して、戦争の中で「はだか」の人が描かれている不思議を「絵のまえでは腕組みをせず、ふしぎだ?→笑える?→でも笑いをとっているわけではなさそうだ?だったら何故そうなっているんだろう」と空想する中で、絵の面白さを感じることー気持ちのドキドキ感ーを提案されています。

私は、現代美術の出会いでー例えばマルセル・デュアシャンは時として「笑ちゃう」ことはあります。しかし、それから先へはすすむことができなくなることがよくあります。その作家や現代美術に関しての知識がある程度あったら、何故にたいする空想がさらに広がるように思っています。

4時間目は「ものまね美術館」です。無から有は生まれません。すばらしいという感動の対象をみつけたら、それをまねする。そうして、その世界に何かを付け加えたり、違う角度から眺めてみる。そうして、一歩一歩アレンジを付け加える。すべての始まりはそこから生まれる と指摘されています。
世阿弥の「風姿花伝」に「修(手本を真似る)・破(独自の工夫を付け加える)・離(手本に縛られないで独自なものにする)」と一人前の能役者(真の花)になる成長の段階が書かれていますが、「ものまね美術館」ではそれと同じことを指摘されていると思います。

5時間目は芸術と芸能美術館です。芸術の目的は「深く行きつくこと」、一方、芸能は「広くいきわたらせること」。両者は文化の両輪。

6時間目は「しあわせVSふしあわせ」美術館です。芸術作品を見る視点を、「しあわせとふしあわえ」という視点で見ると「美の世界」がさらに広がります。
具体的に印象派の作品(しあわせの作品ー私は光の作品と呼んでいます)と後期のゴヤ作品のムンクふしあわせの作品ー私は影の作品)とを比較し、両者にはそれぞれの美があると指摘されています。さらに、ゴッホの作品の中にある外面の影と内面の光の両面をもっている作品に焦点をあてて、美のいろいろなバリエーションを知ることで、美の世界を深堀することを提案されています。
美しさは光の中にも見出すことができますが、影の中にも私たちは美しさを見出すことができます。美とはなんと広い世界なのでしょうか。

7時間目は「ほねぐみ美術館」です。この章で、抽象画のたいする見方が大きくなりました。「なるほど!このように見ると良くわかる」と私も活眼しました。
モンドリアンの「青と黄色のコンポジション」と写真家ブレッソンの「トリエステ」を例に出して、表側(きれいでわかる世界)と内側(すぐには見えないものー骨組み(本質)の世界)の2つの世界を表現している美の世界があることをここでは説明しています。

これから芸術作品を見るときは、「心のレントゲン」で裏にある骨組みを見てみませんか!このことで抽象画の美に対する冒険はさらに広がることと思います。

8時間目は「大きさ美術館」です。現代社会の特徴である「大きい、多い、おしゃべり(主張する)」ことが重要だという価値観から、フェルメールの作品のように「小さく、少ない、おとなしい」ということも同じく価値があると述べられています。このような見方をしていくと、美しいということはさらに大きく広がります。

9時間目「地球美術史美術館」です。この章では、メキシコの女流画家「フリーダ・カーロ」の紹介があり、私は感動してしまいました。
彼女の映画が日本で公開(2003年)されていたので、ぼんやりとは知っていたのですが、すごい絵を見てしまいました。
フリーダは6歳で小児麻痺になり、18歳でおなかに鉄の棒が刺さるという交通事故にあい、それでも絵を描き続け、47歳でこの世を去った人です。
その彼女の「折れた支柱」という作品は、全身に釘がささり、体の中心を金属でささえ、それでも、凛として美しくたっているフリーダーの自画像です。人間の美しい凄さを垣間見る作品です。
世界は広いことを実感させられた章です。

最後の10時間目は「いつでもどこでも美術館」です。美術館は、いろいろな種類の「美」が実る森だと考え、どれだけたくさんの種類の「美」という感動のどんぐりを拾って持ち帰るころができるか、そんな気持ちをもって美術館に足を運びましょう と提案。

そうして、
「きれいでなくても美しい、ちっぱけでも無限の世界がある、みぢかなところに、すばらしい感動がある」
美はどこでも見つけることができる と最後に喝破されています。


この本の中に素敵な言霊がありましたので紹介します。

心の美人
「なにかを美しいと感動できる心をもった人は美しいと。
美しい心を持った人が美しいんじゃなくて
美しいと思う心を持った人が美しいんだ。」


合掌 山さん

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