
この展覧会を見るまでは、コローというと「風景画家」というイメージがありました。
今回は風景画とともに、18点の女性の肖像画が展示されいました。 実に魅力的な肖像画がありました。肖像画家としてもコローは魅力あるアーティストであることを実感しました。
特に私が凄い作品だなあと感じたのは、左図の「真珠の女」と「青い服の婦人」の2作品です。
どちらも素晴らしい作品ですが、今回は「真珠の女」の焦点をあてて考えてみたいと思います。
正面をじっと見ている端正な顔の作品は、 見事な作品で他の肖像画よりも光り輝いています。

左図に示しているように、両作品ともほとんど同じ構図です。異なるのは右手の角度です。画面と平行に手の位置を配置していますので、安定性がましています。
このようにほとんど同じということは、コローは自らがモナリザを意識してこの作品を制作したのではないかと思われます。
コローとダビンチは、お互いに一生独身で、母親を強く意識していたということ、両者ともこの作品を死ぬまで自分の傍においていたという点で共通点があります。
二人とも母親への強い思いがあったことと私は想像します。
しかしながら、あまりにその思いが強いと、頭の中での想像力が膨らみ実態とかけ離れたイメージが出来上がります。
ドイツの哲学者ディルタイは、「頭の中で考えた対象を理解するだけでは本当の理解ではなく、自らの体験を通じて理解できる」と述べています。体験や表現をしないと人間は純粋な思いだけがだんだん広がり、現実のものとはかけ離れたものになってきます。それだけ純粋培養されたイメージだけが膨らむことになります。体験-表現-理解のサイクルをまわして初めてわかるのです。

左図はダビンチと同時期に描かれたラファイエロの「ラ・ヴェラータ」ですが、実に人間(女性)を感じさせる作品です。この作品はラファイエロの恋人を描いたといわれていますので、二人の関係がこの作品にはにじみ出ています。人間臭い作品なのです。
コローの作品は、人間臭さにかけますが、なぜか私は惹かれるのです。私も自分の母親を理念化しているのかも知れません。
なお、この展覧会の招待券を下さった田村さんにお礼申し上げます。
合掌 山さん
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