2008年7月20日日曜日

野外彫刻 阪急宝塚・西宮・夙川

 
今回は阪急沿線の野外彫刻を紹介します。

 特に、阪急宝塚駅の左右には世界的な現代アーティストの作品、左にアルマンの作品、右にマルタ・パンのアートが輝いています。

 また、駅から宝塚大劇場まで有名な「花のみち」があります。そこを歩くと3つの宝塚をテーマとした彫刻作品が展示されています。

その先にある宝塚大橋には兵庫県出身の新谷と淀井の代表作が展示されています。

また、阪急西宮北口で降りて、兵庫県立芸術文化センターまで歩くとブルーデルの代表作を見ることができます。 (地図をクリックすると拡大します。)

では、この中から3つの作品を紹介します。

1)廃物を芸術作品にかえる集積彫刻家(ジャンク・アーティスト)フェルナンデス・アルマン (Armand Pierre Fernandez 1928~2005)の「クレシェンド(だんだん強く 1995年 設置)」という作品です。 

約5mの高さに、色々な切断された楽器がみごとに集積、組み合わされて緑色の塔に再構成されています。楽器をこのように組み合わせることでアート作品したアルマンのイマジネーションとそのエネルギーは凄いものですね。実に個性的で迫力のある作品です。

 現在、阪急宝塚駅とJR宝塚駅にはさまれた狭い場所に設置されていますが、最高のアート作品だと私は思います。

 この作品からは、壮大な音楽-マラーの千人交響曲やベートウベンの第九合唱が聞こえてきます。


2) アモーレの彫刻家新谷琇紀(しんたにゆうき 1937年~2006年)の「MANO D'AMORE 1978年」という作品です。


 宝塚大橋に女性をモデルにした作品が橋の入口に左右に設置されています。


 手のひらの中央に微妙なバランスで、女性が乗っています。神の手の上で踊っている人の愛を表現しているのでしょうか。

一瞬の動きを捉えた姿は実に優雅な美しさをもった作品です。


3)ブルーデルのライフワークであるベートウベン・シリーズ(45の像)の「風の中のベートーヴェン」という作品です。

 兵庫県立芸術文化センターの2F入口に設置されています。

 この作品はベートウベンの内面の情熱がそのまま表現されています。周囲に強い気を発していますね。


 感動の雲にまたがり、厳しい形相で世界中を駆け巡っている姿は迫力があります。これは、ベートウベンに終生尊敬の念を持っていたブルーデルの姿そのものなのかもしれません。

ぜひ、世界レベルの作品に出会われることを願っています。

なお、他の作品は、「アートを楽しむ山さんの美術散歩」にアクセスしてください。


合掌 山さん

2008年7月14日月曜日

2つのモディリアーニ展

現在姫路と大阪でモディリアーニ(1884~1920)展が開催されています。

 一つは姫路市立美術館の「アメデオ・モディリアーニ展」(7月8日~8月3日)、もう一つは国立国際美術館の「モディリアーニ展」(7月1日~9月15日)です。
 
2つの美術館が、世界中からモディリアーニの作品を借り展示しています。姫路市立美術館は約50作品、国立国際美術館は150作品と全部で200作品を現在関西で見ることができます。

最初に感じたのは、美術雑誌で見るモディリアーニの作品と本物とでは伝わってくるものが全く違うということです。そのギャップ(表現の深さと広がり)が大変大きいのです。 首の長い変な肖像画と思っていたのですが、実物は全く異なります。今回、彼の作品ほど本物を見ることの大切さを感じたことはありません。
 
 では、2つの展示会の楽しみ方を紹介します。

1)モディリアーニの画業の軌跡を時系列で楽しむ
  両美術館ともにモディリアーニの作品を時系列で展示していますので、成長の軌跡を見ることができます。
 国立国際美術館では、モジリアーニの軌跡を 4つに分けています。

 1)プリミディヴィスム(アフリカや東南アジアの芸術)の発見(1906年~  )
  
1906年イタリアからパリへやってきて、いろいろな画風の絵を描いた時期です。表現主義らしき作品、エゴンシーレ風の作品と多くの先人達の影響を受けた作品があります。モディリアーニらしさはまだありませんが、その中に彼の芸術の才能を見出すことができます。
 
右の絵は「嘆きの裸婦(1908年)」という作品です。作品の内面から発せられる人間の不安や苦しみを感じます。



2)実験的段階へ:カリアティッド(古代神殿を支える女性像)の人物像ー前衛画家への道(1913年~1915年)
   
 理想的な石像を製作するために、カリアティッドを描いた時代です。
  モディリアーニは、ロダンが製作に使っている粘土をもとにした彫刻作品ではなく、ミケランジェロのように直接大理石をのみで彫る彫刻作品を作ることを目指していました。 そのための習作がカリアティッドです。

 右の作品のカリアティッドは1913年に製作された作品で、表情はありませんが、原始的な力強さや強烈な存在感があります。
 
 3)過渡期の時代:カリアティッドからの変遷ー不特定の人物像から実際に人物の肖像画へ
   健康上の理由から彫刻を断念して(1914年~)、色々な表現方法を模索しながら、絵を描くことに専念しはじめた時代です。

 
右の絵は「クララ(1915年)」という作品です。長い首、長い鼻、片方の目が黒で塗りつぶされている目とモディリアーニの特徴が表現されていますが、顔の形全体がが立体的に描かれていてキュビズム的に表現しています。


 4)仮面からトーテム風の肖像画へ:プリミティヴな人物像と古典的肖像画との統合

 現在に私達のイメージの中にあるモディリアーニらしい作品が製作された時期(1915年~ 1920年)です。

左図の「女性の肖像(通称:マリー・ローラサン 1917年作)という作品です。
茶色の髪、細長い鼻と首、凛とした目の表現、引きしまった口で彼女(ローラサン)の内面性を表現しています。才能溢れ、輝くローラサンの表現が実に見事です。

画面の奥から、ローラサンのコトバが聞こえてきそうです。
「私は才能溢れる女性よ!」と。


2)好きな作品をじっくり鑑賞する

全作品をざっと見たら、次に気になる作品や好きになった作品をじっくり見てみましょう。

姫路市立美術館では、左図の「赤毛の少年(1919年作)」が好きになりました。

朴訥とした少年です。

不要なものをすべて削ぎ、単純化しています。
しかしながら、じんわりと少年の存在感を味わえる作品です。

ローラサンのように光り輝いてはいません。
しかしながら、かみ締めるほどじんわりと味が出てくる、
私はそういう作品が好きです。

モディリアーニの少年に対する優しさと内に秘めた純粋性を感じます。

 こんなにもたくさんのモディリアーニの作品に出会えることは、めったにあるものではありません。
特に本物は作品から出てくる独特の雰囲気があります。
そのことで、私達は多くの感動を得ることができるものと思います。

 合掌 山さん

2008年7月11日金曜日

糸の先にあるもの-塩田千春

 大阪の国立国際美術館で開催されている「モディリアーニ展」に昨日行きました。

館内の受付B1からモディリアーニ展会場のB3へ行く途中のB2に「真っ赤な糸と靴のインスタレーション作品」が展示されていました。

 その作品の強烈さに心が躍り、ついつい見入りました。その作品を製作したのが、塩田千春です。

今回は、彼女の作品を楽しみたいと思います。

最初に目に付くのが、B2フロワーの中心に展示されている「DNAからの対話」という作品です(上の図)。

なんという迫力でしょう。
赤い糸のこの美しさはなんでしょうか。
なんというイマジネーションなのでしょう。

2135足の靴がフロワーに並べられています。
すべての靴には、この靴を寄贈された方の思いを綴ったメッセージが添付されています。
短い文章ですが、それを読んでいくと、一人一人の靴への暖かい思いが良くわかります。

そうして、これらの2135足すべての靴が、赤い糸で一点に結ばれているのです。

さてこれからが山さんの作品への読み(勝手な想像)になります。

寄贈された靴はそれぞれのそれをはいた人の人生の歩みがそこにはあります。
寄贈した時点で一人一人の思いが込められています。
運命の「赤い糸」で一点で結ばれているということは、どういう意味なのでしょうか?

塩田は次のように書いています。

「今回の展示では、それぞれの靴を赤い糸で結びその記憶の中心となるものを探って行こうと思っています。不在の中で語り続ける靴の記憶の凄みを皆様に見ていただければ光栄に思います。」

2135人以上の靴を通して、 そのぞれの記憶の中心となるものとは?

う~ん、 私は人生の「喜怒哀楽」と読みました。
赤い糸で結ばれているこの空間から人生の喜怒哀楽の記憶が私には見えました。

8月2日のイベントで直接塩田千春から聞くことを楽しみにしています。


もう一つ驚いた作品が「During Sleep(ベットと糸のインスタレーション)」です。

大きな空間の中に病院用のベッドが10台以上置いてあります。その周りを「黒色の毛糸」がまるで巨大なくもの巣のようにベットと空間全体を網の目のように覆っています。

薄暗い空間に、白いベットが浮き上がって不気味に見えます。

ベットは生老病死の象徴のようですし、
ベットを覆っている巨大な黒い毛糸は、私達が押し込めた人間の無意識の空間ように感じました。

この空間に入ると、自分の生、病気、死などの 人生の内面の不安や暗い部分と向き合わなければなりません。

その点で松井冬子の精神と通じるところがあるような気がします。

そのほか、巨大な泥の付いた3枚のドレス(皮膚からの記憶)、トラウマの日常などの作品が展示されています。

自分の想像力を駆使して、自由な想像の空間に遊ぶことができる
そういう刺激をたくさん持ったすごい作品でした。

なお、展示作品は下記をクリックしてください。
http://www.nmao.go.jp/japanese/chiharu_shiota/works/index.html

イベント情報
 ・8月2日 作者と語る 同日午後2時より B2展示場にて
  (本人から直接作品の話を聞くことができます)
 ・8月31日 高瀬アキ(ジャズピアニスト)+塩田千春(美術) パフォーマンス 「靴が踊る、音が飛ぶ」
  (有料 2500円 事前申込) 
  HPのイベントよりメール(concert@nmao.go.jp)で申込可能(http://www.nmao.go.jp/japanese/cinema_popup/performance080831/performance080831.html
 
 特にライブパフォーマンスは楽しみです。早速メールで申込をしました。

合掌 山さん

2008年7月9日水曜日

美術館探訪 スキュルチュール江坂 彫刻美術館


 神戸のポートアイランドでマルタ・パンの作品に出会ってから、もっと彼女の作品を見たいと調べていたら、スキュルチュール江坂(瀟洒な建物の意)という彫刻美術館に4点の作品があることがわかりました。今回は、この彫刻美術館とその彫刻庭園の楽しみ方を紹介します。

 歴史的には、最初(1990年)にマルタ・パンの作品を中心とした「リーニュ・ブランシュの庭」が出来上がり、その後1997年に彫刻美術館「スキュルチュール江坂」がつくられたとのことです。

 彫刻美術館は、世界的な彫刻家の最高の作品が10点(野外のマルタ・パンを含める)展示されています。それぞれの作品はすべて彫刻家の代表作ばかりです。それらの作品を楽しむには、スペース的には狭い空間ですが、作品の質を考えると最高の場所です。じっくりと1人で味わう空間と時間がここには用意されています。山さんお薦めのアート空間です。

 彫刻美術館には、日本の彫刻家に大きな影響を与えたシャルル・デスピオのデッサン画とアフリカ彫刻も展示されています。また彫刻庭園はマルタ・パンの作品が3点、内田晴之の作品が1点展示してあります。緑の芝生の中にある作品は生き生きとその存在を示しています。


楽しみ方 その1-ニュ・ブランシュの庭を楽しむ

広い芝生の緑と池の青、マルタ・パンの作品の白が見事に調和した庭園です。マルタ・パンに よる作品が3点展示されています。

 8mもあるモニュメント(左の写真)、斜めに設置されている迷路、風に吹かれて池を浮遊している浮かぶ彫刻。そして、3つの作品が白いラインで結ばれています。 マルタ・パンの3つの作品を同時に見ることができる稀有な場所です。

 2001年に来日の時にマルタ・パンは次のように語っています。「私の作品にとって何よりも重要なのは、その場所にとけ込むことです。私の作品はどれも、空間、場所、周囲のものとの関係において成り立っていると思います。というのも、私は完全に自立したオブジェを創りたいのではなく、建築、あるいは風景の延長であるようなものを創りたいからです。そしてこの延長というのは、生きた世界と死んだ世界との媒介となるものなのです。 こうした場所に出入りする人々には、このような媒介、つまり安心感を与えてくれるものが必要だと、私は思うのです。」 このマルタの理念が表現された場所が「ニュ・ブランシュの庭」です。

楽しみ方その2-最高級の彫刻作品を楽しむ


 


 受付で無料の作品説明のためのICレコーダーを渡されます。それを聞きながら作品を見ていくと更に理解が深まります。ただし、他の方の迷惑を考えて事前にイヤホーンを持っていかれることをお薦めします。 私が特に印象をもった作品は下記の3作品です。


1)ブルーデルの「ペネローブ」(1909年製作) 隣の展示はザッキンとロダンでしたが、この「ペネローブ」が一番光り輝いていました。トロヤ戦争で消息を絶った夫を待つ妻ペネロープの姿をモデルとしていますが、その表現は、大きな腕と直線的な下半身の線、小さな顔で何かを思いつめている表情。凛とした存在感を示しています。作品が放つ空気がなんともいえません。


2)ロッソの「悩める子」(1893年)」
 少女の頭部だけの作品です。斜めに頭を傾け、目を閉じている表情は何かに悩んでいるように見えます。石膏で作られたものを、蝋(ロウ)で覆っていますので、その不透明な表情が生々しさを増幅し、心の内面にある苦悩を実によく表現しています。


3)マンズーの「枢機卿(1986年製作)」
 枢機卿とはカトリックの教皇に次ぐ高位聖職者の称号です。暗闇に光るこの枢機卿は、円錐状に単純化された表現も関わらず、威厳と神秘性をかもちだしています。


楽しみ方その3- お茶を飲みながらマルタ・パンを楽しむ 

受付の前に喫茶コーナーがあります。 そこにはジョージ・ナカシマのデザインした「ナカシマ・ラウンジチェア」に座ってコーヒーを楽しむことができます。そしてコーヒーカップはイタリアの名陶Richard Ginoriです。彫刻作品のみならず、さりげなくいいものが置いてあるのが実にいいですね。

 コーヒーを味わいながら、ガラスごしにマルタ・パンの「割れた球体」を見ましょう。 マルタ・パンは次のように話しています。 「芸術作品の存在はボリュームとかフォルム、色彩、素材によって定義されるものではありません。そうではなくて、芸術が寄与できるのはエネルギーを与えることです。芸術は周囲の空間の力に抑揚をつけ、かつ強めるのです。場所と、そこを通り抜ける人々の行動に働きかけるこうした能力こそが、私たち彫刻家の力であり、存在理由であり、そして責務でもあります。(高松宮殿下記念世界文化賞受賞の記念講演)」 真っ白なマルタの作品からは清らな安らぎのエネルギーが出ています。そのエネルギーを感じながら、ここでは十分にくつろぐことができます。

楽しみ方その4-アフリカ彫刻を楽しむ

アフリカの民族彫刻が展示されています。仮面、人形、ベット等があります。ピカソをはじめとして多くの芸術家のインスピレーションを与えたアフリカの彫刻は人間の根源的な生命力に溢れていました。

アクセス
 
地下鉄御堂筋線にのり、江坂駅で下車して徒歩10分程度です。
 送迎バスが出ています。江坂駅の4番出口より出て高架歩道橋を歩って左に下るとすぐ(赤い郵便ポスト前に停車します)に送迎バス(無料時間5分)がありますのでそれに乗ると便利です。アメニティ江坂のテニスセンター前(最初の停留所)で下車します。その前に、美術館と庭園があります。なお、送迎バスの時間はここをクリックしてください

合掌 山さん


2008年7月5日土曜日

野外彫刻 姫路城周辺と千姫の小路

 兵庫県姫路市にある姫路城の周辺及び「千姫の小路」に野外彫刻があります。

 姫路に縁が深いアーティストの作品が中心に個性豊かな作品が展示されています。

 偶然に私はこの野外彫刻に出会ったのですが、特に、千姫の小路と呼ばれている所は、両方をお堀と川に囲まれ水辺にはシラサギがたわむれる桜並木の散策路です。 季節に応じた美しい花を咲かせています。一度は行きたい隠れ家的な散歩道ですね。

では、いくつかの作品を紹介しましょう。


最初の作品は、姫路市出身の世界的グラフィック・デザイナーの永井一正(ながい かずまさ 1929年~ )の「光輝」 ステンレス・鉄 1989年 製作)という作品です。
 
 この作品には次のような永井の言葉があります。

 「光輝」はひかりかがやくと同時に、名誉、誉れの意味を持っています。雲のような形に浮かんだステンレスのオブジェに写り込むあおぞらや白い雲は毎日変化するでしょうが、それらの時の流れを内包しながら、姫路城を中心にした美しい街ー姫路に誇りをもって慄然と立っている彫刻を考えました。鉄の柱を貫く形は困難を克服しながら未来に向かって強く邁進するさまを表しています。 
 姫路市民の方々の憩いの場に、そして明るい希望の輝きができればと願って製作ました。
 
  確かに、慄然と輝く力と孤高の強さを感じます。凛としてその存在感を示しています。


次に、東村正久(ひがしむら まさひさ 1915年~1987年)の「楔(くさび)」(1989年 設置)という作品です。

 楔とは「V字形に作った堅い木や金属のことで、物を割ったり、隙間を広げたりするのに使う」ということですが、この作品では右側の凹に楔が入口まで入っていますが、形が異なるためにまだ十分に入っていません。
  
 いったいこれは何を意味しているのでしょうか?

私なりに勝手に想像してみました。不毛なコミュニケーションの象徴なのだろうか? 事前の準備の大切さなのか?
 色々考えることに意味がありそうです。あなたは何を想像しますか?
 この姫路城周辺では一番好きな作品です。

 最後に、吉田英智(よしだ ひでとも 1932年~ )の「千姫像」です。

 この小路の主人公である千姫の彫刻作品です。

多くの伝説がある千姫の人生は波乱万丈の歴史にそのものでした。徳川家康の孫娘であり、7歳で豊臣秀吉の子秀頼の妻。豊臣家滅亡後、20歳で姫路城主本多忠刻の妻、その後忠刻の死後、30歳で出家をし天樹院となり70年の人生を全うしています。 正座し正面をじっと見据えた目はこれから歩む自分自身の人生を見えいるようです。そうして、自信ある微笑みは千姫の存在感をかもちだしています。

 400百年前に、この水に挟まれた小路を千姫もきっと散歩していたと想像すると、私の心も楽しくなりました。


他の作品は、「アートを楽しむ山さんの美術散歩」にアクセスしてください。



合掌 山さん